「恋空」ドラマと「君空」の違い

「恋空」ドラマと「君空」の違い

私にとって、映画の「恋空」を観た事よりも、「君空」を詠んだ事の方が大きな衝撃となった。

 

ヒロにとって美嘉は絶対的な実在で在り、ヒロの全てだったのだろう。
しかしながら、ヒロが綴った文字をアレンジする美嘉は、あんなにまで自身の事を美化して記述出きるものなのだろうか。
自身の事をあんな風に記述するには気恥ずかしさがあるだろうし、ヒロの想いを伝達したくてもあんな風に記述出きるものなのか、その点だけは「君空」への勿体無さを実感した。

 

途方もなく身近な人を癌で亡くしていて、闘病生活にもかかわっていた自身にとって、ヒロの死との葛藤は、詠んでいて途方もなく途方もなく辛いものだった。
そして、途方もなく愛していたヒロのそのような心の葛藤と恐怖を、美嘉が文字にして記述する事が出きたのだろうか。
もしも自身なら、まず記述できない。
詠んでいるだけで辛くて、相手の全てを気付いておきたいとおもったとしても、暗黒の闇に包まれた絶望を想像して代弁する事等到底できない。
ここも私にとって美嘉と云う人物が理解出きる事ができない点である。

 

「君空」は、美嘉の想像で記述されていた部分もたくさんあったとおもわれる。
ページ数のためか、あまり内容に意味のないヶ所もあったとおもわれる。
こうであってほしかったと考慮して記述された部分もあるのかも知れない。
ヒロが綴ったノートを詠んだ時、美嘉は何をおもったのだろう。
「恋空」のドラマで、そのノートを詠んだ時の美嘉も見せてくれるか?
ドラマでは、ヒロが空になってからの美嘉を見せてくれるか?

 

世俗に有益な話柄

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